「オレがオレがの『我(が)』を捨てて、おかげおかげの『下(げ)』で生きる」
お客さまを相手にする商売にとって、この考え方は、決して忘れてはならない根本姿勢といえるでしょう。歯科医院にも同じことがいえます。医師が治療技術を競ったところで、患者様のニーズが現実のものにならなくては、治療そのものの意味がありません。私がこの道を目指したのも、「おかげさまで」という言葉の響きが好きだったからです。
私の実家は、長野県松本市で6代続く老舗の商店を営んでいます。そこでは、「おかげさまで」という感謝のセリフが、日常的に取り交わされていました。もっとも、次男として生まれましたので、家業を継ぐことは求められませんでした。そこで、「同じように、何か人の役に立てる職業に就きたい」と考え、当時新設されたばかりの「松本歯科大学」へ進んだのです。
ある日、父親が歯の治療に悩んでいたときのこと。横浜で画期的な治療方法を提供している医師の名を知りました。聞くところによると、顎の骨に芯棒のようなものを埋め込み、それを支えに人工の歯をかぶせるのだとか。その方が、インプラント治療のパイオニアとして知られる、津末臺(つのすえ・うてな)先生でした。
「入れ歯のようにぐらつかず、天然歯と同じような感覚で食事が楽しめる」
患者様にとって大きなアドバンテージとなる最新技術を目の当たりにし、感動というよりもむしろ衝撃を覚え、迷わず津末先生に弟子入りしました。以来、「總合インプラント研究センター」の理事長を務めるようになり、後進の指導も手がけています。
もちろん、歯科医師の役目は患者様の要望をかなえることであり、治療を押しつけることではありません。また、自分がされたくない施術は、患者様にも行いません。ただし、「引き出し」を多く取りそろえておけば、それだけニーズがくみ取れるのではないでしょうか。インプラント治療は、あくまで選択肢のひとつです。
特に、住宅地に囲まれた当院のような立地では、信頼関係の構築がすべてと言ってもいいでしょう。私の原点である「おかげさまで」が聞きたいから、患者様の期待に添うべく、不退転の覚悟で常に全力を尽くします。
・長野県松本市出身
・1982年 松本歯科大学卒業
・1984年 「コシ毛利台歯科」開院
・「日本口腔インプラント学会」会員
・「日本口腔インプラント学会」認定医
・「社団法人日本歯科先端技術研究所」指導医
・「總合インプラント研究センター」理事長