平成9年3月 | 松本歯科大学 卒業 |
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平成9年4月 | 医療法人社団厚誠会勤務 |
平成13年5月 | みどりの森デンタルクリニック開業 |
平成16年1月 | 医療法人財団真和会設立 |
平成16年11月 | みどりの森デンタルクリニック高座渋谷開業 |
現在に至る |
私は昭和47年の4月、かかぁ殿下とからっ風という土地柄で知られている群馬県大間々町(現在のみどり市)に長男として生まれました。姉と妹に挟まれた3人きょうだいの二番目です。
小さいころから外遊びが大好きで幼稚園や小学校の友達と、缶けりや鬼ごっこ、メンコなどをして毎日暗くなるまで遊んでいました。 そんなアウトドアな日々を過ごしていた小学校時代にファミリーコンピューター(通称ファミコン)が発売され、突如としてインドアに。放課後の友達はマリオやドンキーコングに変わっていきました。
私の父は空調設備の会社を営み、地域のため家族のために働いていました。そして父は青年会議所のメンバーとして、地元の同士とともにお祭りの運営や地域の活性化のために休みの日も忙しく飛び回っていました。
そんな父の背中を見て育った私はいつしか、「自分も将来は人の役に立つ仕事に就きたいな」と思うようになりました。
院長紹介
医療法人財団真和会
みどりの森デンタルクリニック院長:須藤真行
経歴
平成9年3月松本歯科大学 卒業
平成9年4月医療法人社団厚誠会勤務
平成13年5月みどりの森デンタルクリニック開業
平成16年1月医療法人財団真和会設立
平成16年11月みどりの森デンタルクリニック高座渋谷開業
現在に至る
<誕生>
私は昭和47年の4月、かかぁ殿下とからっ風という土地柄で知られている群馬県大間々町(現在のみどり市)に長男として生まれました。姉と妹に挟まれた3人きょうだいの二番目です。
<幼少~小学校時代>
小さいころから外遊びが大好きで幼稚園や小学校の友達と、缶けりや鬼ごっこ、メンコなどをして毎日暗くなるまで遊んでいました。 そんなアウトドアな日々を過ごしていた小学校時代にファミリーコンピューター(通称ファミコン)が発売され、突如としてインドアに。放課後の友達はマリオやドンキーコングに変わっていきました。
<少年時代に思い描いていた将来>
私の父は空調設備の会社を営み、地域のため家族のために働いていました。そして父は青年会議所のメンバーとして、地元の同士とともにお祭りの運営や地域の活性化のために休みの日も忙しく飛び回っていました。
そんな父の背中を見て育った私はいつしか、「自分も将来は人の役に立つ仕事に就きたいな」と思うようになりました。
<中学~高校時代>
中学校の三年間はサッカー部に入部し、日が暮れるまでボールを追いかけていました。決して強いチームではありませんでしたが、いわゆる体育会系の縦社会を学ぶことが出来ました。高校の3年間は、県内有数の進学校だったということもあり、毎日勉強に追われていました。進路決定を迫られた高校2年の夏ごろに、自分の将来をよく考えていました。
「人の役に立つ仕事ってなんだろう・・・」
そんなときにふと思い出したのが子供のころのことです。
恥ずかしいことに私は子供のころ本当に虫歯が多く、長い休みになると歯科医院への長期の通院を余儀なくされていました。麻酔や削られて何度も痛い思いをして、当時の私は歯医者が大嫌いだったのです。
「俺がこんなにいやな思いをして通ってるんだから、ほかの人も同じ気持ちなのかも。。。ならば痛くない歯医者になればみんなにも喜ばれるのはず!」
そう思い、単純ですが歯学部受験を決めました。
晴れて大学に入学した私は「女の子にモテるかも・・・」というナンパな気持ちで軟式テニス部に入部しました。ですが入部そうそう私の淡い夢は無残にも泡と消えました。思った以上に練習が厳しく、女の子と・・・なんて暇がないのです。
ですが日々のトレーニングや遠征で、仲間と一体となって部を盛り上げていく面白さを知りました。みんなからの推薦で部長もやらせていただき、後進の指導に精を出す毎日でした。イベント好きの私は大学祭の実行委員も経験しました。その実行委員だった先輩の一人に行動力があり、みんなからの信望も厚い実行委員のカリスマのような方がいました。その先輩のおかげで大学祭は大成功で、私はそのバイタリティあふれる彼に憧れを抱くようになりました。
いつしか「俺もみんなをまとめて大学祭を成功する喜びを味わいたい。チャレンジしてみたい!!」と思うようになりました。その先輩やみんなからの推薦もあり大学4年に大学祭実行委員長に就任しました。委員長ともなると責任の重さは何倍にもなり、不安がよぎることもたびたびありましたが、ほかのメンバーのサポートのおかげで、大学祭を成功させることが出来ました。そのとき私は仕事を全うする責任と、同じ目標を乗り越えようとする仲間の大切さを学んだのです。
いや~大学祭の実行委員は本当に大変でした。成功の裏に解決しなければならない様々な問題がありました。しかし彼はほかのメンバーの持ち味を見出し生かすのが上手く、メンバーが120%の力が発揮できるよう、自らは裏方に回り、影ながらバックアップしていたのです。
大仕事をなしえるバイタリティは見習うべきものがありますね(ほめすぎ?)お祭り好きの彼は、大学の最後を飾る謝恩会の実行委員長をも買って出てくれて、大学生活最後の華やかな宴の場を見事に演出してくれました。
大学を卒業し、東京町田市の歯科医院に勤務しました。当時私をよく指導してくれた先輩の一人から予防歯科ということばを耳にしました。
私はその予防という言葉にとても興味を抱きましたが、勤務して数年は日々の診療に忙殺されてしまい、深く勉強するところまでは至りませんでした。この先歯科医師としてどういうビジョンで生きていけばいいのか目標を失いかけたときに、ふと子供のころに“削らない・痛くない歯医者があればいいのに”とおもったことを思い出したのです。
「そうだ。俺が進むべきは予防の道だ!」
俄然やる気が出た私は独自に勉強を始め、日本での予防歯科の第一人者といわれる山形県酒田市のとある診療所へ見学に赴き、自分のなるべき歯科医師像を確固たるものにすると同時に開業の意思を固めました。
勤務医時代より座間市に住んでいた私は、自然が豊富で水もおいしく人の温かみを感じるこの地で平成13年5月24日にみどりの森デンタルクリニックを開業しました。
医院の名前はみどりあふれる座間の風景からとったものです。
小さいお子様からお年寄りまで皆さんに通院していただけるよう、スタッフとともに日々努力を重ねています。医院の開業後も予防の勉強を続け、ある事実を知りました。それは欧米諸国では当然とされているメインテナンスの実施率が日本はなんと2%しかないということです。
幸い私たちの医院にお越しいただいている患者様には着実に、定期的に歯科にかかる重要性を分かっていただき、徐々にではありますがメインテナンスでの来院の方が増加しています。
ですがもっと多くの患者様にメインテナンスの重要性を理解してもらい、広く世間に知ってもらうためには時間もスペースも足りないのではないか?そう考えた私は、平成16年11月に大和市の高座渋谷駅前に分院を開業しました。現在の分院長である鎌田洋一先生は私の大学時代からの親友です。彼の技術は私よりもはるかに上で、予防の知識も豊富です。彼と話をしているだけでも大変勉強になります。
行動力がありパワフルなスタッフとともに、一人でも多くの患者様に安心して来院していただけるよう日々診療しています。日本のメインテナンス率を1%でも上げるべく私の挑戦はまだまだ続きます!!
おしまい。