1985年、北海道医療大学歯学部卒業。
卒業と同時に千葉大学医学部口腔外科にて教鞭をとっていた藤原先生に師事、口腔外科の基本を叩き込まれる。
日本インプラント学会会員
日本インプラント臨床研究会会員
幼少の頃は都内の下町に育ち、今は余り見かけなくなった八百屋さん、肉屋さん、酒屋さん、魚屋さん、卵屋さん、時計屋さんなどが軒を連ね、それこそ、寅さんで有名な柴又帝釈天のような、朝から晩まで賑やかな人情味あふれる下町に育ちました。
幼稚園から小学校まで付近では有名なわんぱく少年(わんぱく坊主!?)で、近くの神社の鳥居によじ登って神主さんに大目玉をくらったり、夜明けと共に悪友数人と親に内緒で、危険を理由に禁止されてる川にザリガニを捕りに行き、行方不明!と近所で大騒ぎになって危うく警察沙汰になりそうになったり‥よく母親が近所の人に謝ってばかりでした‥
中学に入っても相も変わらずワルで、担任からさじを投げられる始末で、当然の事ながら高校も義務教育の延長?程度にしか考えない連中ばかりが同級生‥みたいなとこでした‥
でも、そんな私でも高校3年の夏にハッと我に返り、その後2年間公立の図書館に閉じこもり(なぜか、いつも司法浪人!?の方と席がとなりでした‥)、死に物狂いで朝から晩まで受験勉強に取り組み、当時難関と言われた医学部に合格しました‥
ただ、その際、軽い気持ち?で受けた歯科大から、特待生の採用通知と共に学長からの直筆(和紙に毛筆でした‥)の手紙に(あなたを国家有用の人材と認め‥是非とも、わが校に入学されたく‥)の文言の一言に感動し、一週間だけ医学生?となりましたが、結局、母校となる学校、歯学部に入学手続きをとりました‥
今思い返せば、人の人生はふとした事で変わるものだとつくづく思います‥。
その後、大学生時代は、ヒマさえあればリュックを肩に北海道旅行を楽しんでいた、ごく普通の学生でしたが、違う点は日本育英会や大学独自の奨学生、はたまた歯科材料メーカーの財団法人の奨学生などの奨学金を借りていた為に、ちょっとでも成績が下がると生活に直結みたいな学生生活でした‥
でも何とか最短で卒業、歯科医師になり、当時、母校の病院長兼、口腔外科教授でもあり、文化勲章授与経験のある偉い先生よりありがたい?ご推薦を頂き、弟子の一人である、千葉大口腔外科の講師でもあった藤原先生の元で口腔外科の基本をみっちりとたたき込まれました‥
あれから24年‥
光陰矢のごとし‥まさしくその通りですが、自分なりに研鑽を積み、今日に至っております
スタッフ紹介; 受付、歯科衛生士、スタッフ全員が常勤です。
患者様お一人お一人を長期間見守っていくためには必要不可欠なことと考え、アルバイトやパートの方はおりません。