小学3年生の頃、ぼくの上の前歯は下の歯の内側に並んでいて受け口でした。父は歯科医でしたが、昔のことなので「お前は男だし、そんなもの治さなくてもええやろ」といった調子で、ぼくも内心「やれやれ、何かよくわからんけどたすかったな」と思ったものでした。
同じ町内に野球が上手なおじさんがいて、その人もぼくと似た歯並びなのが嬉しくもあったのです。
しかし、母はやはり女ですから、自分の子供の歯並びがずい分気になったとみえて、「保彦の歯、何とかしてやってよ」と毎日何回も父に言いました。家庭での母親の発言力は現在と同様昔も強かったですし、あるいは父にも歯科医のメンツがあったのでしょう。とうとう、ぼくの前歯には銀ピカのものすごい装置がはめられたのです。
さあ、次の日学校では「おいっ、銀歯のアサイ」、「おめぇ、銀歯つけて自分とこの宣伝しとるんか」てな調子でもう大変でした。この装置は、今の矯正歯科のレベルから見たらお粗末なものではありましたが、受け口の程度も大したものではなかったのでしょう。岐阜公園に遠足に行ってキャラメルを食べたためにこの銀歯がとれてしまった時には、とにかく上の前歯は下の歯の外側に出ていたのです。
数十年たった今も、ぼくは子供の時のこの出来事について昨日のことのように考えます。もう他界してしまった父や母がぼくの歯のことを心配していてくれた気持ちについてです。それは、今この診療所に矯正治療のため通ってきている子供さん達に対する親さんの愛情と同じなのだと。
子供の歯の矯正をしてやろうと思うと、何回も忙しい時間をさいたりしなくてはいけないし、お金もかかります。今は何とも思っていなくても子供さんが大人になった時、いつか「きれいな歯並び」でよかったと喜べるように、親さんのご期待にそえるよう一生懸命に努力を続けていくつもりです。
最近は大人になって矯正を始める人もずい分増えてきました。健康で清潔な笑顔に向かってチャレンジされている成人患者さんを、ぼくは尊敬しています。当院で働いているスタッフは、その多くがやはり矯正治療を受けた経験をもっています。矯正治療のためには長期間にわたって通院していただくことになりますが、その間ちょっとしたことでも、共感を持ってサポートさせていただけるよう全員で努めてまいります。
1969年 | 大阪大学歯学部卒業 |
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1973年 | 大阪大学大学院歯学研究科修了 (歯学博士) |
1974年~1979年 | 松本歯科大学助教授 (歯科矯正学) |
1979年~ | 浅井矯正歯科 開設 (岐阜市) |
歯学博士
日本矯正歯科学会 認定医、指導医、および専門医
朝日大学歯学部 非常勤講師 (歯科矯正学)
北京大学口腔医学院客座副教授 (中国)
メキシコ州立自治大学客員教授 (Mexico、Toluca)
E.H. Angle Society of Orthodontists 正会員 (米国)
The Royal College of Surgeons of Edinburgh 矯正歯科認定会員 (英国)
アメリカ矯正歯科学会国際会員
日本臨床矯正歯科医会会長
写真撮影、油絵製作、旅行、水泳