私は1967年、広島県呉市で生まれました。
小学校は今はなくなってしまいましたが、1,2年生まで
吾妻小学校、3年生からは本通小学校、中学は和庄中学校、
高校は呉三津田高校に通学しました。
呉生まれの呉育ちです。
時間がたつのも忘れて没頭
小さい頃から手先は器用で、雑誌の付録を作ったり、プラモデルや模型を作ったりするのに熱中しました。今でも休日は丸一日中プラモデルを製作したりしています。とにかく当時から細かく複雑なものを作ることが好きでした。
いったん作り始めると時間がたつのも忘れ没頭し、食事に呼ばれたのにも気づかずに母によく叱られたのを覚えています。ある時、折り紙を折っていたときにふと「普通に折るんじゃつまんないな、もっと小さいのを折ってみよう」と思い立ち、折り紙を小さく切ってピンセットなどを使って1センチぐらいの折鶴を折りました。とても両親が驚いてくれ、「手先が器用で細かい作業の得意なお前は歯医者に向いている」「お前は将来良い歯医者になると思うよ」などと言われ嬉しかったです。
「ぼくも歯医者さんになって忙しいお父さんと歯が痛くて辛そうな患者さんを助けてあげたい」
私の家は祖父も歯科医師、父も歯科医師、親戚にも歯科医師がいる歯科医師一族でした。
その頃は歯科医院の数が少なく、どの歯科医院も患者さんで溢れていました。
当時は母も受付の手伝いをしていましたので、幼稚園から父の診療室に帰っていました。
診療室の玄関を開けると足の踏み場も無いほど靴があり、待合室には立って待っている患者さんもいるほどでした。そんな状況ですから診療室はいつも慌ただしく、父は懸命に診療していました。ただ、どんなに忙しくても、患者さんに対して怒ったりイライラしたりする姿を見たことはありませんでした。
家では無口な父でしたが、患者さんとのコミニュケーションを重要視し、やさしく接することに最大限心配りをしていたと思います。そんな父に「ありがとうございました」と笑顔で帰っていく患者さんたち。そんな光景を見て子供心に白衣の父がまぶしく見え、誇らしい気持ちになりました。「ぼくも歯医者さんになって忙しいお父さんと歯が痛くて辛そうな患者さんを助けてあげたい」と思っていました。
一方で、昼間は父も母も働いていて家には誰もいません。よくスタッフの娘さんがおままごとなどをして遊んでくれましたが、そのお姉さんも夕方には帰ってしまいあわただしい診療室の片隅で一人、寂しい思いをした記憶があります。
小学校時代はごく普通の子供でした
小学校時代は特に明るく活発というわけでもなく、ごく普通の子供だったと思います。
子供というのはみんなよりちょっと違うことを見つけて、そのことをからかったりすることがありますが、私の場合は「歯医者の息子~」といってからかわれました。「歯医者は怖い、痛い、歯科医院は嫌なところ」というイメージがあったのかもしれません。「なんでこんなことでからかわれなきゃいけないんだ!」「お父さんが歯医者なんかしているからだ!」と今思えばくだらない理由で父に反発するようになっていきました。
自分の進む道に悩んだ中学、高校時代
中学、高校時代になると両親は毎日のように勉強して歯科医師になることを求めてくるようになりました。塾だけでなく家庭教師をつけ、通信教育の教材なども取ってくれました。私の為にしてくれていたこととはいえ、自分の人生を親に決められてしまう、このまま決められた路線を歩くのが果たして自分にとってどうなのか?と悩むようになり、勉強にも身が入らず勉強をしているふりをしてラジオを聞いていたりしていました。
しかしいよいよ受験の時期も迫ってくると真剣に自分の将来について考えるようになりました。
手先が器用で何かを作ったり直したりすることが得意であること、人に喜ばれ感謝される仕事をしたかったこと、小さな頃からの憧れ(小学校の頃の夢は歯医者でした・・・)などもあり悩んだ末に結局、歯科医師が自分の進む道であると素直に思えるようになってきました。そこからは本腰を入れ勉強し、祖父と父の母校でもある日本大学歯学部に入学することができました。
入学するにあたってあれだけ勉強する機会を与えてくれたにもかかわらず国立大学の歯学部に入れなかったこと、学費や生活費などの面でさらに負担をかけてしまうことを申し訳なく思っている私に父は
「お金のことは心配しなくてもいいよ。お父さんもお前のおじいちゃんから同じことをしてもらったんだから、今度はお前が自分の子供に同じことをしてやればいいんだ」と言ってくれました。その言葉を聴いて胸が熱くなりました。
必死に勉強して良い歯医者になることがいままでいろいろしてくれた両親に対する親孝行になると思い、必死で勉強をして大学を卒業し、国家試験を合格し、歯科医師免許を得ることができました。
「オレってやっぱりうまいかも」
有意義に過ごせた6年間の大学時代の後、大学の医局から入局のお誘いもあったのですがはやく臨床技術を習得し歯科医師として1人前の力をつけたくて、横浜のつづき歯科医院で勤務しました。
院長の續肇彦先生は臨床技術もさることながら人間性も一流で、患者さんへの接し方や歯科治療に対する考え方などを学びました。勤務し始めて半年ぐらいがたった頃でしょうか、すこしずつ治療を任せてもらえるようになりました。院長先生はことあるごとにまだまだ未熟な私をほめてくれていました。
「オレってやっぱりうまいかも」
技術の習得ばかりに一生懸命で、一番大切な患者さんとのコミニュケーションをおろそかにして少しおごりがあったのかもしれません。
「あんなに痛くて乱暴な治療ははじめてだ!」
ある患者さんを痛がっているに強引に治療をしてしまいました。
「あんなに痛くて乱暴な治療ははじめてだ!」
その患者さんは帰り際にそういって帰られたそうです。それを聞いた院長先生は私を呼び、
「先生、ちゃんと患者さんのいってることを聞いてるの?患者さんはウソをつかないよ、そんなことじゃ患者来なくなっちゃうよ!」
あのやさしかった院長先生がこのときばかりは鬼のような形相になり、厳しく叱られました。
それから1ヶ月の間院長先生とは口を聞いてもらえず、治療もさせてもらえませんでした。すごく落ち込み、自分が情けなくて仕事に行くのがとてもつらかったです。
1からやりなおしだ
「院長先生にほめられていい気になってたけど、本当は自分は歯医者に向いてないんじゃないか」
「歯医者なんか辞めてやろうか」と真剣に悩みました。しかし私は歯医者以外何もできません。それに歯医者になって一番喜んでくれた両親に申し訳ありません。
「1からやりなおしだ」と心を入れ替えて診療の補助をしながら院長先生の歯科技術だけではなく患者さんとのコミニュケーションの仕方も勉強しなおしました。
するとすこしずつ院長先生も声をかけてくれるようになり、また治療も任せてくれるようになりました。今度はちゃんと患者さんを気遣い、コミニュケーションを取りながら治療を進めていきました。
ある患者さんの親知らずを抜歯した翌日、消毒に来てもらったとき診療後に
「痛くなくて上手に抜いていただいてありがとうございました」といわれました。涙が出るほど嬉しかったことを覚えています。
父は私に独自の道を歩んで欲しかった
つづき歯科医院に勤務して3年が過ぎた頃、父から電話がありました。「開業にいい場所を見つけたから帰って来い」
私にとっては驚きでした。というのも私は父の医院を継ぐもの、父もそのつもりだと思っていたのですが違っていました。父は私には独自の道を歩んで欲しかったそうです。そのため、私の知らないうちに呉中の開業に適した場所を探してくれていたのでした。
突然のことで不安もあり迷いましたが、自分の思い通りの診療ができる、地元呉の患者さんに最
先端の歯科治療を提供したいと決断し、当地に平成8年11月に開業いたしました。
開業当初からたくさんの患者さんに来ていただきました。お話を聞いてみると昔、父の診療室に通っておられた方もたくさんいらっしゃいました。中には「おじいさん、お父さん、そして先生と3代にわたって治療してもらいました」とおっしゃられた方もいました。祖父や父が地域の歯科医療に貢献し、皆様に愛されていたことを確認し、身が引き締まる思いでした。同時に、呉で開業してよかったな、歯科医師になってよかったなと
改めて感じることができました。
開業当初は歯で困っている人を助けよう、苦痛を取り除いてあげようと無我夢中で診療をしていました。今から考えると“治療”にばかり専念して患者さんの痛みをとる、咬めるようにするということばかりに捉われていました。
笑顔に溢れた生活を送れるようになるには、治療だけではダメだ。
開業して5年ほどたった頃、開業当初から通ってくださる患者さんが来院されました。
「先生、歯がぐらぐらで何も咬めないから抜いてください」
診察させていただくと歯周病が進行し、今にも抜けそうです。こうなってしまうともう持ちません。残念ながら歯を抜くことになりました。
ところが、ふと、少し前に撮影したその患者さんのレントゲンを見ると愕然としました。そこには今抜いた歯が何の問題もなく写っていたのです。たった数年で何の問題もなかった歯が・・・
それまでにも、治療した歯がまた虫歯になり再治療したり、不幸にも抜歯になってしまったりということを繰り返し経験していました。
「治療だけではダメだ、患者さんが生涯に渡って健康でなんの問題もなく食事がとれ、笑顔に溢れた幸せな生活を送れるようになるためには、歯を残す予防もとても大事なんだ」と気づかされた瞬間でした。
むし歯や歯周病になってしまう原因はいくつかありますが、主な原因はむし歯菌や歯周病菌が口の中に繁殖し、増えてしまうからなのです。実はむし歯や歯周病が感染症であることははっきりしています。よってむし歯や歯周病を予防するためには口の中の菌の数を減らせばいいわけです。
予防して歯を残していくためには、患者さん自身の正しい歯みがきと、歯みがきでは落としきれない汚れを歯科医院で除去していくことが重要になってきます。そのためには院長である私の努力だけではなく、スタッフの力と患者さん自身の「生涯にわたって健康な歯でいたい」という強い思いが必要になります。
一人でも多くの患者さんに歯の大切さ、健康な歯で生涯をすごすことの喜びを気づいていただきたき、幸せな生活をおくっていただくためにスタッフと共に日々奮闘中です。