10年後を見据えた歯科治療
を実現したいと言う思いから、西宮市の甲東園と仁川の間にある、段上町地区に開院を致しました歯科医院「ケイ歯科クリニック」です。
今までの歯科治療は、やり直しの連続の為、患者様は辛い思いをする事が多かった事と思います。
また、私自身も行いたくないというのが本音です。
10年後を見据えた歯科治療
を行うにあたって、まず患者様が私達に何を望まれているのかを正確に把握することを第一に考えた上で、カウンセリングを行い、その後、診療を行っていきます。
患者様のお口の状態や、今後考えられる変化に関して話し合います。
よりよいお口の中になる為に、私達が出来るお手伝いの内容と、生涯にわたってお口の健康を守る為に、私達がご提案できる診療のゴールについてご説明し、一人ひとりの患者様にとって、最善の治療をご提供するよう努めております。
その為、入れ歯をなくす為のインプラント治療を初め、セラミック歯による審美歯科、噛み合わせを治す矯正治療や安定感のある精密入れ歯治療にも力を入れており、患者様のニーズに応えれるようにしています。
きっと今までの歯科治療との違いを体験できるはずです。
来て良かったと思っていただける歯科医院を心がけています。
経歴
平成3年3月 神戸市立鈴蘭台小学校卒業
平成6年3月 学校法人 三木学園 高砂白陵中学校卒業
平成9年3月 学校法人 三木学園 高砂白陵高等学校卒業
平成16年3月 国立広島大学歯学部歯学科卒業
平成16年4月 神戸市兵庫区 松田歯科医院勤務
平成20年10月 松田歯科医院にて医局長就任
その後に神戸インプラントセンター副医院長に就任
平成22年12月 西宮市段上町にて『ケイ歯科クリニック』開業
生い立ち
昭和53年12月18日 鹿児島県加治木町(現在は統合して姶良市)にて 父:文男、母:きみ子の第1子として生まれて来ました。
父親の影響で、幼稚園の頃から剣道を習い始めましたが、非常に厳しい道場で、泣きながら通った記憶があります。
この時期は、『剣道』と『公文』の二つを必死になっていた気がします。小学1年生の1学期までを、大阪府豊中市で過ごしました。
その後、父親の転勤に伴い神戸に住み始めました。
2学期からの転校とあってか、登校日には凄く緊張しながら学校に行ったことを覚えています。
小さい頃からよく話すタイプだったおかげで、友達はすぐに出来ました。
それは今でもあまり変わっておらず、相変わらずよく喋ります。
剣道と公文は、神戸でも続けていたおかげで、気がつけば算数が大の得意となっていました。
小学5年生の時に、算数の力を確かめたくなり、進学塾のテストを受けました。
結果は散々で、挫折を味わう経験となりました。
しかし、それを機に、塾に通って勉強して、『もっと賢くなるんだ!』と心に言い聞かせていました。
その後、中学受験で兵庫県高砂市の私立白陵中学校を受け、合格し入学することとなりました。
小学生の頃は、塾の為、遊びたい気持ちを我慢して抑えていましたが、中学では本当に友達にも恵まれ、ただただ楽しい日々を送っていました。
部活もずっとやりたかった野球部に入り、中学・高校と6年間野球を続けましたが、とても弱いチームでした。
そんなチームの合言葉は
夢は甲子園、目的は人間形成
というものでした。
大学進学について考え始めた頃、周りに流されるように受験勉強に追われていきました。
野球ばかりしていた為、そこまで成績も芳しくなく、このままでは駄目だと思い、野球と勉強の両立を目指し頑張りました。
学校の創設者である三木省吾先生のお言葉で
人間として 自己の存在を自覚し生きた証を残し 障害終われ
という言葉が好きで、どうしたいのか、なにをしたいのかを必至で考えていました。
ちょうどその頃、虫歯の治療で学校近くの歯科医院に通院していたのですが、その先生が中学・高校のOBということもあり、良く話したりしていたのですが、とても優しく、かっこよく、尊敬していました。
そうした中で、自然と歯科医師に対する憧れを抱くようになり、それはやがて、なりたい職業へと変化していきました。
こうして大学受験を受け、広島大学に入学。
ここでもまた、野球部に所属しました。高校の頃までとは違い、どちらかというとゆるい感じの部活でしたが、それが逆に心地よく感じていました。
バイト、野球、飲み会と大学生活を謳歌する日々を送っていました。
卒業を2年後にひかえた頃から、友達とよく卒業後の事について、夜遅くまで語っていました。
自分の描く将来像、歯科界について。歯科医師となって、どうしたいのかを考え続けていました。
その答えが、神戸市の1つの歯科医院にありました。見学をした瞬間に「ここで働きたい!」と強く思いました。
働いている先生のみなさんが輝いて見えました。とても楽しく、歯科の最高の技術を余すことなく患者様にご提供している姿は、自分の描く理想像と重なりました。
沢山の立候補者の中から、たった一人採用が決定して、無事就職することができた瞬間は、最高の気分でした。
実際に働きだしてからは、本当に大変な毎日を送っていました。
朝の7時半頃には家を出て、帰ってくるのは夜の10時を過ぎる生活。
休憩時間は、昼の1時間のみといった日が続きました。
通勤電車の中では専門書を読み、食事を済ませた後にまた専門書を読む。
最後は本を読みながら寝てしまうというような生活でした。
給料の大半を勉強会に費やした時期もあります。
大阪や東京、福岡に熊本。
気になる勉強会があれば、どこにでも行きました。
こうして頑張ってきた成果は、患者様からの感謝の言葉という形であらわれました。
今考えても、とても充実した内容の濃い時間でした。
勤務して5年が過ぎた頃、独立ということを考え始めました。
勤務している以上は、患者様に行った治療の全てに対して、ずっと責任を持ち、また背負っていけるのは院長だけで、勤務医である自分ではない。この事が、独立へと進むきっかけとなりました。
「自分を信頼して、着いてきてくれる患者様に対して、責任を持って、ずっとお口の管理をしていきたい。」
この思いを胸に抱き、開業を決意しました。
●神戸国際会館にて
「痛くない怖くないインプラント治療とインプラントを使った動かない入れ歯治療」について講演
●関西学院中学校、高等学校にて歯科検診
●啓明中学校、高等学校にて歯科検診
●広島大学にて「これからの歯科界について」について講演
●新徳館保育所、運南保育所にて歯科検診
●大阪SJCDにて症例発表