昭和25年小樽生まれ
昭和50年北海道大学工学部電気工学科卒業
㈱日本鉱業(現 ジャパンエナジー)に入社
昭和54年同退社
昭和57年北海道大学歯学部入学
平成3年 現在地に開院
高校の頃は数学大好き人間で大学は理系でした。
そして、将来はエンジニアとして働きたいと思っていました。
開発途上国に興味があり、アフリカや南米行きを希望したのですが、いざ就職すると、配属先が国内勤務で生まれて初めて北海道を出て、岡山県倉敷市水島に住むことになりました。
休日には同期の仲間とドライブに行ったり 、同期の中には観光地の倉敷に旅行中のふりをして、若い女性に声をかける者もいました。ほんとうに楽しい仲間が全国から集まってできたグループという感じでした。
現実にサラリーマンとして数年間働いてみて、残業も月に100時間以上だったり、どうしても会社勤めになじめず自分は不向きという思いがだんだん強くなり、歯科衛生士をしていた妻の影響もあって思い切って直接人と人のつながりがもてる医療の道をめざし、退職しました。(挫折その1)
ですから今の若い人が自分探しと天職を求める気持ちはわかります。
北海道大学歯学部(16期)
奇跡が起きて首尾よく入学できたものの指先の器用さには、いささか自信があったはずなのに、どうもうまく手が動かない。
脳はどんどん錆び付いてゆくばかり、一回りも若い同期生に随分助けられました。
生活費は正直かなりしんどかったなあ。
同期のA君とは今はやりのスピリチュアルな話をよく議論していました。
息子も二人生まれました。今になっては懐かしい思い出です。
北海道大学博士課程に入学しましたが、国試にはあえなく沈没(挫折その2)
今思えば、あごのズレのため極度の肩こり頭痛、やる気が出なく参りました。将来自分が、あごズレを治療するようになるとは、思いもしなっかたですね。
当時はあごズレは顎関節症の1症状としてごく一部の人たちが理解していたにすぎない状態でした。
でも今、自分が治療するのにはとてもいい経験でした。1年後はまわりの人達に助けられ国試に合格。歯科医としてやっとスタートラインに着きました。
翌年からはまだまだ勉強不足と思い抜かない矯正、東洋医学、入れ歯、根の治療、と勉強をスタートさせました。7年前からは咬み合わせの勉強も始めました。
おかげで診療のレベルは、理想に少しは近ずいて来たと言える程度になれたかなと自負できるようになりました。
挫折することはたくさんありました。
けどそれがあるから今の自分があると言えます。
患者さんから
「ありがとう」と言われることが今の生きがいになっております。