ごうくら歯科医院ホームページ【高崎市】

院長紹介


ごうくら歯科医院 
 院長  新井 勉(あらい つとむ)
(略歴)
昭和60年 
平成 3年 群馬県立高崎高等学校卒業
神奈川歯科大学卒業
同年     神奈川歯科大学 補綴第一講座入局
ごうくら歯科医院開設
平成 9年 
(所属団体)
日本補綴歯科学会
日本審美歯科学会
日本ヘルスケア歯科研究会
日本歯科医師会
群馬県歯科医師会
高崎市歯科医師会

「院長 新井 勉」をより知っていただくためのプロフィール

<幼少時代>
私は昭和41年高崎市上大類町で、2人兄弟の次男として誕生しました。
病気もすることなく、スクスクと育ち、母親は「お前は、本当に手のかからない子だった」と今でもよく言われます。生まれて半年間は、ほとんど寝かせっぱなしだったそうです。
その頃の記憶は、余りありませんが、照れ屋で引っ込み思案な子供だったと思います。人前に出ると何もでき無くなってしまうような・・・。
写真は、自宅の庭でお気に入りの三輪車に乗っています。私にもこんな時期があったようです。

<小学校時代>
小学校(医院の北側の東部小学校)に入る頃には、地区の育成会などにも積極的に参加するようになりました。
学校の成績は中の上ぐらいでしたが、運動神経には自信がありました。野球(ソフトボール)では、2番センターというポジションで、校内で優勝し市の大会にも出場しました。
また短距離走には自信があり、6年間一度も負けた事はなく、おかげで市の陸上大会に小学校から選抜され、 100m走(そのコースでは1位になりました)と 400mリレーに出場しました。
それから上毛かるた大会でも校内で、何度か優勝して市の大会に出場しました。
自慢話になってしまいましたが、この頃の私は、何でもチャレンジする事が好きで、サッカー、スキー、水泳、習字、珠算などいろいろな事をさせてもらいました。
写真は、高崎市の陸上競技大会の400mリレーの場面で、なぜか裸足で走っています。(今思えば靴を履いて走った方が速いはず・・・)

<中学校時代>
中学校(現在の大類中学校)は、練習の厳しいサッカー部に入りました。一年365日、朝夕練習していたように記憶しています。その甲斐あって2年の新人戦では、市の大会で私の決勝ゴールで優勝することができました。
3年の夏の大会が終わると、心に大きな穴があいたようでしばらくは、何も手につかない日が続いたのを覚えています。それでも高校受験を控え、気持ちを切り替えて一生懸命勉強しました。この頃の成績が、人生で一番良かったのではないかと思います。
そして念願かなって、第一希望の高校に何とか合格しました。

<高校時代>
高校もサッカー部に入りましたが、まもなく練習にもついていけず、試合にも出させてもらえずという理由から退部してしまいした。(人生初めての挫折です)
その後、生涯の悪友たちと出会い、授業をサボり、あっという間に成績は下がりました。人生で一番勉強しなかった時期であり、後悔しています。
しかし、あるとき突然、人生の転機を迎える事になりました。
担任の S先生の「新井、そろそろ真面目に将来をかんがえろ」という言葉に触発され、歯学部を目指すのでありました。
理由は (1)私の学力で私立の歯学部が精一杯だった事。
     (2)手先が器用で自信があった事。
    (3)人に喜ばれる仕事がしたかった事。
ですが、問題がありました。
入学金や授業料があまりに高いので、どうしてよいのか両親に言い出せないことでした。意を決して相談すると、「心配するな、何とかしてやる」との母親の言葉に勇気づけられ、より一層の努力をしなければならないと誓うのでした。
そして猛勉強の末、無事に歯学部に現役で合格しました。

<大学時代>
大学に入学した私は、18年間生まれ育った群馬を離れ、神奈川県横須賀市で一人暮らしを始めることになりました。
入学当初は、憧れのキャンパスライフ(あくまでもイメージです)が待っていると思っていましたが、現実は甘くはありませんでした。同じアパートの先輩に誘われサッカー部(体育会)に入部したまでは良かったのですが、週4回の練習(火、水、金,土)と日曜の試合で、アルバイトや新しい友人と遊ぶ事もなかなか出来なかったからです。
しかし、6年間(歯学部は6年制)本当にいろいろな事があり、部活動(同じ体育会系の人たち)を通じて人間的に大きく成長しました。集団の中での責任感、年上の人を敬う心、仲間を助け合う心、様々な事を学びました。ここで出会えた仲間たちは、かけがえの無い私の財産であり、今でもOB会を通じて交遊は続いています。
その後、勉学、部活動に励み、留年することなくとんとん拍子に進級しました。
ちなみに大学時代の成績は、筆記試験は並ぐらいでしたが、手先が器用だったこともあり実技実習は得意でした。
そして卒業試験と国家試験を無事にパスして、大学の医局に残る事になりました。
「歯科医師 新井 勉」の誕生です。
写真は、大学3年の時で一番右が私です。こんなに痩せていました。

<医局員時代>
卒業と同時に付属病院の補綴科に助手(大学では教員)として入局しました。
補綴科というのは、虫歯や歯周病などで歯を失った患者さんたちの治療を行うところです。
ここで、人生で恩師と呼べる先生方に出会いました。
まずは、補綴第一講座 松尾悦郎教授で、アタッチメント義歯(部分入れ歯のバネを使用しない特殊義歯)の第一人者です。なかなか私の名前を覚えてもらえず、苦労しました。昨年(平成18年)6月に横浜で喜寿のお祝いで、お元気な姿を拝見して大変嬉しかったです。
そして、豊田實助教授(現補綴科教授)には、補綴学の基礎を叩き込まれ、清水洋講師には、様々の症例のノウハウを教えていただきました。
その他にも、たくさんの先生方に指導を受けたことは、私が開業するに充分な自信をつけさせていただきました。
この場をお借りして感謝申し上げたいと思います。
写真は、大学を退職するときのもので中央が私で、一番右が松尾悦郎先生です。

<そして開院>
平成9年7月28日「ごうくら歯科医院」は、誕生しました。
開院当初から、たくさんの患者様が来院され、順風満帆の船出だったと言っていいと思います。
その頃の私は、「最高の医療技術を身につける事が一人前の開業医だ」と勘違いしていました。お口の中の病気ばかりを診て、その治療結果に一喜一憂したり、自己満足したりしていたように思います。「なぜ来院されたのか、なにを心配されているのか、どういう治療が希望なのか」といった心の中の事を考えていなかったように思います。
しかしある時、そうではないことに気づかされ、もっと患者様の悩みを聞かなくてはならない、もっと不安を取り除いてあげなければならない、もっとコミュニケーションをとらなければならないと強く感じるようになりました。
開院してから10年の間に、家族、友人、スタッフなどの大勢の仲間に支えられて、いろいろな事を学びました。
今では、皆様に「ごうくら歯科医院 院長 新井 勉」を育ててくださり大変感謝申し上げる次第です。
また、優秀なスタッフにも恵まれて、最新の医療、虫歯・歯周病予防、患者様サービス、安全面など年々、レベルアップしています。
先日、ある方から「この歯科医院に来て、本当に良かった」と言っていただきました。これほど嬉しい褒め言葉はなく感激し、鳥肌が立ち、涙が出そうになりました。
私は、そんな言葉をまた頂きたい、患者様の素敵な笑顔を見たい、スタッフと喜びを分かち合いたい、そんな思いで日々、診療を続けています。

長々とプロフィールを綴りましたが、お読み下さりありがとうございました。少しでも私と患者様の距離が縮まれば幸いです。
また、私の掲載した写真につきましても治療の際、一言コメントいただければと思います。

平成19年吉日

基本情報

ごうくら歯科医院
院長新井勉

370-0031
群馬県高崎市上大類町1379-1

0800-800-1181

027-370-1181

診療科目
一般歯科、インプラント、小児歯科、審美歯科、予防歯科
休診日
日曜・木曜・祝日

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