多少の歯の痛さを我慢しているうちに、年齢を重ねるにつれ、驚くほどの早さで歯は失われてしまいます。"歯が失われた"ことで初めて知る、失った若さ、容貌の変化、楽しいはずの食事の不自由さ、大きなお口で笑えない恥ずかしさなど、みじめで自信のない、不機嫌な日々をおくることになり、それを、やがて"老化"だと思い込んでしまうようになるのです。
あなたの"最善のおロの状態"を創りあげ、育て、しかも、生涯にわたって維持しつづけることが私たちの使命です。
そのためには、これまで虫歯をつくり、歯周病にかかってきた"原因"をつきとめることによって、今後、それらを防ぐための"予防の計画"を、あなたとともに立てることから始めなければなりません。
その前提となるのは、あなたと私たちの"ゆるぎない信頼関係"です。その信頼をもとに立てられた"予防の計画"にしたがって、あなたと歯科医、そしてスタッフがグッド・パートナーとして協力し合い、健康を創り出していくのです。
ほほ笑みを"人生の輝き"にまで高めるためには、あなたの"いま"を「健康なおロを手に入れるチャンス」として丸岡歯科クリニックへ一度いらしてみませんか?
平成元年4月にこの地に開業し、日々忙しい診療に追われていました。またインプラントなどの新しい技術の習得に休日も励んでおりました。しかし、「歯ブラシをしっかりしなさい! 歯はしっかり治さなければいけません」と説教じみた言葉をくりかえす毎日。「これでいいのだろうか? 私の患者様は私の治療に満足してくれているのだろうか?」と思うようになりました。
ここで私は人生を変える一冊の本に出会います。『パンキーフィロソフィー』(パンキー先生の診療哲学)という本です。
パンキー先生は1924年アメリカのルイスビルで歯科医院を開業しました。その当時のアメリカでは歯は悪くなれば抜くものと思われていました。パンキー先生もそのような治療をしていました。しかしある日パンキー先生の母親から一通の手紙がきます。
『あなたの診療は、うまくいっているようで何よりです。でも、私が受けたようなことを、あなたは患者さんにしていないでしょうね。私は歯をすべて抜かれてしまって、今では義歯をしています。これは私の人生にとって最高に不幸な経験です。』
彼女ははまだ42才で美しい女性でした。この手紙を契機にパンキー先生は変わります。自分の人生を人々の歯を救うためにささげようと決心するのです。その一方でパンキー先生は歯科医の教育にも力を注ぎます。そしてその診療哲学に賛同するアメリカの歯科医が集まり、1972年、マイアミにパンキーインスティテユート(パンキー研究所)が設立されました。そこには世界中の歯科医がパンキーフィロソフィーと治療技術を学ぶために集まってきます。
--- 自分の最善を尽くすことを心に誓うこと。
--- 歯科医にとって技術以上に必要なことは、患者様の側に立つこと。そうすれば患者様は常に歯科医とともにいてくれるようになる。
--- 治療に先立って常に精密な検査を行い、歯科医学のできる最適な治療法を患者様に告げること。
--- 歯を悪くする原因を患者様に正確に知ってもらい、その原因を徹底的に除去すること。
--- 卓越した技術を身につけること。
丸岡歯科クリニックでは常にこのことを頭におきながらすべてのスタッフが診療を行っています。
私も念願がかない、1995年にパンキー研究所で勉強することができました。
すでにパンキー先生は他界されていましたが、それは夢のようなひと時でした。
これは若きパンキー先生が教えを受けたハリースミス先生の言葉です。私のデスクの前にいつも貼って常に読んでいます。くじけないように。
『あなたのするべきことは、歯科医学のできうる最適の方法を患者に告げることです。その上でどうするかは患者が自分で決定することなのです。
患者との間に妥協をはかるつもりであるなら、あなたが前もって判断してするのではなくて、患者の知識を基本において妥協することです。あなたのすべての患者に最適な歯科治療がどういうものかを話すべきです。
どこか他へ行く決心をしたときにも、もどってこられるようにドアを開けておきなさい。私も何年もの間に、自分の歯を半分以上も失ってから数多くの患者が戻ってきたのを経験しています。』