S22年 | 大阪市に生まれる |
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S48年 | 愛知学院大学歯学部卒業 |
S48年~S51年 | 大阪市中央区にある国際ビル「福岡歯科」に勤務のかたわら「国立泉北病院」にて嘱託医として勤務 |
S51年~ | 大阪市阿倍野区に「酒井歯科」開業 (株)シャープ本社に嘱託医として勤務(S62年迄) |
S54年~ | 「デンタルクリエイトセンター」設立 診療のかたわら、各地にて「院長のためのマンマネージメントコース」、「プロ・デンタルスタッフ養成講座」等の講演、研修指導と歯科医院マネージメントコンサルタント活動に取り組む。 |
H 3年 | 大阪市中央区に「酒井歯科」、 「デンタルクリエイトセンター」移転 |
H21年 | 「湯布院 酒井歯科」開設 「湯布院 セミナーハウス」開設 |
執筆物として
・「デンタルハイジーン」
・「デンタルエグゼクティブ」
・「デンタルマーケティング」
・「歯科衛生士」
・「歯科技工」
・「ODONTOS」
・「デンタルダイアモンド」
・「デンタルプレナー」
・「大阪愛歯報」
・「ODRG会報」
・「アポロニア」
他
大阪府で歯科医院を経営していた酒井珠材さん。都会のど真ん中で歯科医師として活躍してきた彼は、還暦を迎えたとき、ひとつの想いを胸に抱く。
「60歳になって、自分のセカンドライフをイメージしたときに、人生は一度きりだから、今までとはまったく違う環境で生活してみたくなったんです。」
国内外を問わず、自分が本当に暮らしたいと思える「まち」探しを始めた酒井さんがこだわった点は「おいしい食事」と「癒しの温泉」「風光明媚」であること、そして「人の良さ」。実は酒井さん、自身のホームページで日本全国の温泉をガイドするほどの温泉好きで、機会があるごとに九州を訪れていた。そしてあるとき大分へ来た酒井さんは、塚原の風景に一目惚れしたという。
「高速道路で由布岳付近を通過しているときに、ありのままの自然が残っている優しい景色が広がっていて、それが由布院の塚原高原だったんです。」
ここだ! と思った酒井さんは、大阪に戻りさっそく家族に大分へのIターンを相談した。
「家族に反対されるかなと、正直不安もあったのですが、妻は『一緒に行ってカフェでも開こうかしら?』と喜んでくれて、子どもたちも大賛成してくれました。嬉しかったですねぇ。」
実際、塚原で移住先を探したところ、歯科医師としてセミナーなどを開くのにぴったりな広々とした家が見つかった。そして酒井さんは、塚原高原で歯科診療所を開院し、由布院・別府を中心に夢だった訪問診療を始めている。
現在は、大分で新生活をスタートさせ、週後半は大阪に戻り歯科医院の引き継ぎ業務をこなしているが、近い将来、妻も大分に移住してくる予定だ。
〈別荘〉でもよかったのでは?と意地悪な質問をすると「お客様としてではなく、大分の人の親切な県民性をたっぷり味わいながら、暮らして染まりながら、宝の山の大分で2回目の還暦を迎えるまで訪問診療を楽しみたいですね」ときっぱり。
都会の刺激的な生活の中で、仕事をバリバリとこなし、家族のリーダーとして頑張り続けた酒井さんが、大分を舞台にしたセカンドライフで大切にしていることは「自分のスタイルを貫くこと」。歯科医師として、60代の男として、自分のやりたいことや楽しいと思えることのために時間をつくることが、酒井流セカンドライフなのだろう。
「おおいターン」から。
さかい たまき
院長・酒井 珠材