【略歴】
1999年 岩手医科大学歯学部卒業 国家試験合格
2001年 大阪歯科大学臨床研修科修了
2006年 こまつ歯科医院開業
【所属学会】
日本口腔インプラント学会
日本臨床歯周病学会
日本顎咬合学会
ICOI(国際的なインプラント学会)
AIAIインプラント学会認定医
JACID
【小松啓之・歯科医師への道】
あまり馴染みのない盛岡の大学に行き6年間過ごしました。
僕としては、東京に行きたかったのですが、親父は弘前・兄弟は盛岡と、やっぱり親父の過ごした所に行かせたかったみたいです。
それでも親元を離れたわけですから、うきうきとしていたのを覚えています。
そこの大学には幼稚園から一緒の友人もいて心細さもはなく、色んなところから来ている友達も出来ました。
今ではお互いバラバラになってますが、同業者として頑張っているんだなあと思うと日々向上出来ます。
また、機会があれば歯科に対する熱いディスカッションをしたいと思っています。
18歳という世間も知らない時ですから、色々迷惑をかけてきましたが、その時に親友といってはいけないんですが、今でも慕っている先輩にほとんど毎日のように会い、僕にとってはかけがいのない想い出を作ってくれました。
その先輩は診療所を任されていたということもあり、今でもよくアドバイスをもらっています。
6年間はあっという間に過ぎ卒業、そして国家試験がありました。
この先どうしようかなと思っていた時に、18歳で大学に入ってこの仕事の事を漠然と考えるようにはなりましたが、この先も一生続けていこうという決心がどうしてもつきませんでした。
そんな事もあって、両親になんて言おうか考えて、「反対されるんやろうなあ」と思って言えなかったんですが、いよいよ3月の卒業式が終ってしまいました。今まで聞かれてはいたのですが、いまくごまかしていました。
とうとう・・・限界です。
問い詰められて、しぶしぶ二年間だけ時間を頂戴と。
元々、高校生まで勉強もろくにしないし頭も良くなかったので、入学金や授業料の高い私立にいかせてもらい、その上に二年間となると・・・・、内心「何を言ってるんだ俺は?」と思いましたが、両親は二年間という期限付きでおゆるしをもらいました。
・・・感謝感謝です。
それからというもの、色んなバイトをして、それでまた同業者の狭い中でしか友人がいなかった僕にとって貴重な経験でした。
その時に、自分の人生について深く考えました。僕は社会の中で自分の存在意義を示したい。
この世に生まれたからには、小さな事でもいいから人の為に喜んでもらえるという事を仕事にしたいと思いました。
それからは、人は目標と目的が決まると、後は邁進あるのみで行動が早く、一年後にはこの世界に戻ってきました。
その時、関西出身の大学の級友が色々と世話をしてくれて、人生で初めて大阪の地を踏みました。
よく聞かれるんですが「なんで大阪なの?」と。
この仕事をする上では日本全国どこでもいけます。ただ、僕は寒いのが苦手なんです。大学も6年間、東北の盛岡というところにいたし。今現在両親は、仕事の関係で北海道にいるので僕としては西へ西へという意識がありました。
今ではみなさんのやさしさに触れ、たこ焼き、お好み焼きが大好物になり、身も心も大阪にどっぷりです。
開業
開業するまでの間、僕はまず二年間で一通りの保険診療をマスターしようと努力しました。
やはり患者様一人一人全く違いますし、同じ病気等はありえませんので、それに対応出来るよう一生懸命。
一才のお子様からご年配の入れ歯の患者様まで治療させて頂きました。
そのおかげで、その後には分院長という形で診療所を任され、治療内容は当然のこと、少しばかりの経営を学ばせていただきました。
その時は自分の診療所のつもりで何とか多くの患者様に来ていただきたく、増患方法などのマネージメントや従業員教育などなど何とか目標を達成出来ました。
そして、今回ご縁があり、この阿倍野区昭和町で開業する運びとなったのです。