1999年日本大学松戸歯学部卒業
和田歯科医院(当時)勤務
2001年より相原歯科医院勤務
日本臨床歯周病学会会員
日本口腔インプラント学会会員
CID(Center of Implant Dentistry)Club Active Member
足立区生活習慣病(ADMS)指導医
日本大学松戸歯学部インプラント科研究生
2000年 | CRC歯周外科セミナー 岡本浩先生 |
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2002年 | ITIインプラント ベーシック・コース(阿部成善先生) |
2003年 | 目白歯周病学研究会 ベーシック・コース(若林勝夫先生他) |
2004年 | ブルーマリン・シッピング ボーン・マネージメント・ハンズ・オン・コース(勝山英明先生・中村社綱先生) |
2004年 | 予防歯科セミナー(景山正登先生) |
2005年 | MI(ミニマル・インターベーション)と接着セミナー(猪越重久先生) |
2006年 | 歯内療法ビルドアップセミナー(明石俊和先生) |
2006年 | アストラテック・インプラント ベーシック・コース(池田頼宣先生) |
2006年 | 目白歯周病学研究会 アドバンス・コース(若林勝夫先生) |
2006年 | ITIインプラント ハンズ・オン・コース(勝山英明先生) |
2006~ 2007年 | 藤本研修会 補綴・咬合コースPartⅠ(藤本順平先生) |
2008年 | 北千住ラジスト歯科 i-view画像センター CT実践セミナー(新井嘉則先生) |
2008年 | 特定非営利活動法人ADMS生活習慣病指導医講習 |
2009年 | 全身管理セミナー(見崎徹先生) |
2009年 | インプラント骨造成とハードティッシュ・マネジメント セミナー(嶋田淳先生) |
2010年 | Zimmerインプラント・セミナー(藤関雅嗣先生) |
2010年 | ITIスタディー・クラブ |
2011年 | イークライナー アライナー矯正治療最前線 東京セミナー(金泰元先生、渡辺和也先生) その他多数。 |
2007年3月 藤本研修会主宰、藤本順平先生との授与式
2003年 目白歯周病研究会、ベーシックコースにて
2004年7月 香港ハンズオンコースにて、中村杜綱先生と
S.F.Rosenstiel先生(オハイオ大教授)、M..F.Land先生(南イリノイ大教授、アメリカ補綴学会会長) 、藤本順平先生から頂いたサインです。
この御三方の書かれた歯科の教科書がアメリカはもとより世界8カ国で訳され、世界中の歯科大学で使われています。
若林勝夫先生より
吉野敏明先生より
はじめまして相原歯科医院院長の相原一雅(あいはらかずまさ)です。 今から考えてみると、子供の頃の私は人とは違ったことをするのが好きな少し変わった子供だったように思います。
小学生時分には昆虫に興味を持ち、生態や飼育の方法などを熱心に調べたのを覚えています。
少し大人になった高校生の頃には、音楽に興味を持ち始め、最初は一般的な洋楽を聴いていたのですが、だんだんマニアックな方向に進み始めて、中古レコード屋に行ってはあらゆるジャンルのレコードを買い集めていました。
少年の頃から、私は興味を持ったひとつのことに対して、こだわりを持ってとことん追求していくというところがあると思います。
今でこそ、こうして歯科医師になり、勉強を続けていますが、少年のころは実はそうでもありませんでした。 父も歯科医でしたが、「将来は後を継いで歯科医に・・・」というような気持ちは起こりませんでした。
高校卒業後、何をしてよいのか自分でも分らず、大学受験をしてもうまくいかず、自分が興味を持っていたデザインの勉強をしたり、撮影スタジオで働いたりと、紆余曲折があったのです。
撮影スタジオで働いたのはとても良い経験になりましたが、当時の私としては将来の自分がうまく描けず、結局1年で辞めてしまいました。 中途半端で未熟な当時の私でした。ただ、そのときにほとんどの人があまりの厳しさに1週間でやめてしまうような職場で高く評価されたことで、「どんなことでも死ぬ気でやれば、なんとかなる」という妙な自信を身につけることができました。
今思えば、このときから、自分の中に何かが芽生え、育ち始めたのだと思います。
そういう私に歯科医を目指す転機がおとずれました。それは、撮影スタジオをやめることを母に話した時に、母がさびしそうに言ったひとことでした。
「あぁ、また将来、家をスタジオにする夢がかなわなかったね・・・」
それを聞いたときに、親が自分のことをこんなにも考えてくれていたということにはじめて気がつくことができました。
それまでは、親は家の跡継ぎのことだけを考えていて、自分のことを考えてくれているとは正直思えませんでした。
私が興味を持ってやっていることを共有して、自分の夢だったと話してくれた母の言葉は私に今まで自分が好き勝手にやってきたことを考えなおすきっかけとなりました、そして「歯科医になって親を喜ばせたい、跡を継いで家の役に立ちたい」と思うようになりました。
それから、高校生の時に使っていた古い参考書や問題集を引っ張りだし、再び受験勉強を始め、歯学部に入学することができました。ですから合格した医学部を辞退することにも迷いはありませんでした。
そして歯科医となり、最初は中央区のある歯科医院に勤務しましたが、そこでは制約が多かったため、父の開業した現在の相原歯科医院で診療させてもらうことにしました。おかげで、資金や経営のために妥協することなく思う存分勉強し理想の診療を追求する環境を整えることができました。
今、歯科医として思うのは、本当に歯科医療というのは奥の深い世界だと感じています。どんなに勉強しても「これで良い」というものはなく、歯科医である限りずっと勉強をし続けていかなければならないものだと考えています。そして、どれだけ勉強してきたかで、患者様に何が提供できるかが決まってしまいます。
そんな私も、今では3児の父親になりました。
親孝行がしたくて歯科大入学を目指しましたが、今は親のためではなく『子供が物心がついたときに、人の幸せのために働いている、姿勢を伝えたい』という気持ちで働いています。 そしてそれは母の望むところでもあるだろうと思っています。
人の役に立つこと。
人の規範になるような人間になること。
そしてそれを子供たちに伝えること。
子供たちも社会の規範になれるようになること。
そうして世の中が今よりも次の世代にはもっとよくなっていくことを、自分なりに願っています。
そんな考えに至ったのも、歯科医という職業に出会えたおかげです。 私は、歯科医ではない自分は想像がつきません。歯科医になれたことに、心から感謝しています。 ぜひ、歯に対してお悩みがあればお気軽にご相談ください。本当にあなたの将来を考えた治療をご提案させて頂きます。